


外見はイタリアンカラーのコントラストが眩しいパールホワイトベースにアクセントで配色された深いメタリックグリーンと新鮮なるレッドのクロスデザインでにてペイントされた鮮烈なるボディーカラーです。エンジンはドゥカティーの L 型 2気筒空冷 900cc キャブレーター仕様を搭載です。このエンジンに対して最小限のスペースにて設計させたオリジナルの強靱軽量アルミフレームを採用しています。これにより全体的には 250ccボディーくらい小さな凝縮させたコンパクトパッケージにあえてまとめられております。車両重量が150キロ近くの超軽量ボディーへ強心臓 900ccクラスのスペシャルエンジンが与えられているのですから堪りません。
ビモータ社コンプリードゥカティシリーズは「 DB 」と表記され・シリーズは今までに過去の車種として初代 DB1、から始まり、DB2、DB3 Mantra、 DB4 と流れが続き、現行ドゥカティエンジン搭載モデルの DB・シリーズの DB5、DB6 が存在しています。カラクリ仕掛けのカマキリみたいな テージ・シリーズ Tesi 3D と呼ばれるカスタムマシンもあるそうです。
「3週間後に東名でお逢いしましょう。」この巫山戯たコメントから始まる何気ない合い言葉がジゲンさんの情熱的な心に引っかかり、柳本氏の愛車スポーツ 1000S には私も負けてはおられませんよ~とビモータ db-4 へ直結しました。決してスピード対決する訳では御座いませんが、ハーレーから馴染んだ2気筒エンジンを今度はドゥカティで味わう楽しさです。
続く 文: 加古 俊文
撮影データー:カメラ本体:PENTAX K10D
2007 GRAND- PRIX -PACKAGE
製造番号:GP2667 No 002667133602番
レンズ:SMC PENTAX FA 50mmF/1,4 (35ミリ換算76,5mm)
最短撮影距離:0,45m フィルター外径:49mm 重量:220g
レンズ構成枚数:6群7枚 (対比角度換算31,5°画角)
最大径×長さ: 65mm×37mm 最大絞りF:22
ホワイトバランス:電球/AUTO/晴天日陰/蛍光灯各種モードにて撮影。
露出補正:-0,5段 有効画素数 1020万画素
画像JPEG記録サイズ:2M-JPEG(1824X1216ピクセル)
JPEG画質モード: ☆☆☆ Sファイン
ISO感度設定 100
場所:神奈川県横浜市都筑区秘密工場近辺にて撮影です。
写真撮影:加古 俊文
この写真はエッジのポスタリゼーション加工を写真画像に対して施してあります。
実際の写真より輪郭が絵画チックにエッジ強調されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ビモータより抜粋。
空調設備会社からオートバイ製造会社へ
ヴァレリオ・ビアンキ ( Valerio Bianchi )、 ジュゼッペ・モーリ ( Giuseppe Morri )、 マッシモ・タンブリーニ ( Massimo Tamburini ) の三人よって、当初は空調設備の会社として 1966年にリミニにて設立される。会社名の由来は、三人の名前(姓)の綴りから最初の2文字ずつを組み合わせたもの( BI-MO-TA )である。
元々は空調設備の会社だったが、創立者の一人であり根っからのオートバイマニアであったタンブリーニの趣味がきっかけで、会社としてもオートバイと関わるようになる。タンブリーニは1972年に趣味のオートバイレースで大破した自らの車両 (CB750) を、空調設備の仕事でもなじんでいたパイプ加工の技術を活かしてフレームから作り直した。これが後の HB1 の原型であり、ビモータとしての第1号車でもあった。
この車両が評判になり、本業とは別にフレーム・ビルダーとしての業務を、1973年にビモータ・メカニカとして開始する。最初期の業務は、主に日本車向けのスペシャルパーツの製造販売や、レース用フレームの製作供給から始まった。ビモータのフレームを採用したレースチームが選手権獲得をした頃からその名を広め、本格的に市販車を発売する頃には空調設備の業務をやめて完全にオートバイ製造会社へ転向した。
製造販売する車種の特徴
主に他社製のエンジンを、自社製のフレームに搭載するという方法で製作した車種を発売する。更には、それらの車両を使用してレースにも参加していた事もある。
初期のビモータの車種は、オートバイ(エンジン)メーカーから完成車を購入して、エンジンだけを取り外して使用していたので非常に高価だった。これは、当時のビモータ社の生産ラインがほとんど手作業に近いレベルであり、年間生産台数も2桁や3桁前半程度に過ぎず、当初はエンジン単体で供給してくれるオートバイメーカーがなかったためである。
また、軽量ではあるが製作に手間がかかるフレーム形式や、FRP製カウル等の高級部品を採用していたのも高価になる理由だった。しかし、当時そのような仕様のオートバイを市販してくれる他のメーカーは少なく、一部の熱狂的なファンに支持された。( 一例をあげると、1983年に発売されたカワサキGPz400F の価格は 52万5千円であったが、この GPz400F のエンジンのみをビモータ製フレームに搭載したビモータ KB2-TT の価格は340万円であった)
その後、他のオートバイメーカーからエンジン単体での購入が可能になり、車両そのものの高評価も手伝って生産数も増えていく。とはいえ、依然少量生産であり(後年最大のヒットとされるSB6でさえ派生のSB6Rを含めても2000台に届かない)、凝った車体のつくりもあって、ビモータの製作販売するオートバイは他に比べて高価であり続けた。
また、モーターサイクル史上に残る唯一のセンターハブ・ステアリングを搭載する市販車テージ・シリーズも同社の製品である。ちなみに、テージの日本国内価格は298万円であった。
http://www.motocorse.jp/bimota/




































