保存版 1日24時間の扉。ヤーフーブログからの移設です!

保存版  1日24時間の扉。 ヤーフーブログからの移設です! 2019年06月03日に 移設作業で保存版を製作致しました! 2006年06月26日〜2014年11月10日までの記録で御座います! Toshifumi Kako 1966

2006年08月

保存版 1日24時間の扉。
ヤーフーブログからの移設です!
2019年06月03日に
移設作業で保存版を製作致しました!

2019年06月03日に
移設作業で保存版を製作致しました!
2006年06月26日〜2014年11月10日までの記録で御座います!


Toshifumi Kako 1966

カイエン ブレーキからメロディーが?

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クルマを駐めてあるにもかかわらず、左前方のブレーキキャリパーから音が聞こえて来るではありませんか?赤いブレーキキャリパーの上に夏の常連虫?緑色した(すいっちょ)でしょうか?別名は馬追虫とも呼ばれています。バッタの仲間らしいのですが、
ブレーキキャリパーの色に魅せられて夏らしくご来店です。

1 あれ松虫が 鳴いている
  ちんちろちんちろ ちんちろりん
  あれ鈴虫も 鳴き出した
  りんりんりんりん りいんりん
  あきの夜長を 鳴き通す
  ああおもしろい 虫の声


2 きりきりきりきり きりぎりす
  がちゃがちゃがちゃがちゃ くるわ虫
  あとから馬おい おいついて
  ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
  秋の夜長を 鳴き通す
  ああおもしろい 虫の声

虫 の 声   尋常小学校読本唱歌  明治43年

続く 加古 俊文

カイエンSとカイエンターボの違いは何?その2。

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テーマが漠然としていてこれ程までに、抽象的なお話もありませんが、今回は金額面についての価値観を検討してみましょう。カイエンSの9.060.000円に対して、カイエンターボの(6速ティプトロニックS)/13.600.000円の差額が4.540.000円です。難しいのはエントリーモデルの(6速ティプトロニックS) カイエンV6が6.760.000円ですから、ターボはV6の2台分の金額となるのです。一番ベーシックの(6速マニュアル)では価格が6.340.000円ではありませんか。このカイエン各種の販売金額ですが、実はこの数字の魔法には素晴らしい仕掛けが隠されており、金額設定が絶妙なランキングに振り分けられていたのです。ターボの50%OFFがV6の金額でカイエンSはその中間グレードに位置され丁度2/3です。33.3%を差し引いた金額66.6%の価格設定です悪魔の数字ですね。偶然にしては出来過ぎたこの価格設定は目には見えない黄金比に近い仕掛けが隠されていたのです。

この黄金比を崩すのがターボ以外に設定された、メーカーオプションパーツの設定です。車両販売金額には基本的には含まれない影に隠れた存在とされています。新車購入時ではこのオプションパーツも追加料金となりますが?中古車市場に於いては車両基本金額に追加で評価されません。手に入れるのであれば新車ではカイエンSがやはり人気が集中してきますが、中古車市場では走行距離の少ない程度の良いターボに人気が集中するようです。発売から3~4年が経過した現在ではリセールバリューでこのターボとカイエンSの差額が非常に少なくなってきているそうです。

続く 加古 俊文

排気量不明の124物語。

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WDB1240341B正式には400Eと呼ばれる4,200ccV8DOHC/M119974エンジンを搭載させた5人乗りセダンです。エンジンは5,000ccのM119型同じくV8エンジンを載せ替えてある特殊車両124でもあります。ですが?リアトランクのエンブレムのバッジはE60と表記され6,000ccの雰囲気を滲みださせているのです。まさに排気量不明なる124セダンです。実はこのクルマ加速力が抜群に速くシグナルレースメインで競走させるのであれば文句なくライバル500あたりであればしっかりとリード出来てしまうのです。入魂の1台、クルマの価値は時間を掛けて如何に満足の領域へ浸れるか?面白いものですね、

続く 加古 俊文

生まれ変わった尾形氏の124/E320セダン。

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WDB-124032と呼ばれるE320セダンです。ご存知オーナーは春日部の尾形氏です。ボディーに付いた傷のあちらこちらを修繕させるために今回E320セダンをお預かり致しました。見事に蘇って来ました燻銀744セダンです。この尾形氏が所有されるE320セダンは甲斐総店長のE60ハグマンの鏡の向こう側と噂されるくらいに瓜二つです。ボンネットを開けなければ、排気量がどれくらいなのかすら外見からでは判断出来ません。本当はお盆までに仕上げたかったのですが、セレクト勝手な手直しも含めて少し時間が掛かってしまったのです。尾形氏は待ちきれない気持ちが押し寄せて夜も眠れなかったのに、一切文句1つ言わずに納車時期を耐え抜いていただけた事に本当に感謝ですね、

さて仕上がってきたメルセデスは空力抵抗を少しでも高めるために、マークレスボンネット仕様へ変更です。これはフロントのスターマーク取り付け穴を鉄板で溶接して平面加工を必要とします。簡単そうでなかなか難しいモディファイメニューなのです。これにより洗車時間が3分近くも短縮が出来るのです。124好きのオーナーが何気に憧れるマークレススタイルでもあります。この加工も実は尾形氏には内緒で勝手にサプライズモディファイをさせて貰いました。

ボディーが美しく蘇ると、不思議と気になるのがモールディングパネルの色褪せです。アルマイトブラックも時間の経過と共にやがて薄い黒鉄色に変色して行きます。さらに劣化が進むとモールディングだけ艶のないボーナイトモールに変色して行きます。全体的に均等に色褪せればまだ我慢できるのですが、所々、違うトーンで色褪せが進むと腹が立つくらいに見窄らしく見えるものです。全部のモールを新品部品を取り寄せて交換すれば簡単なのですが、金額的には当然部品代がそれなりに嵩みます。取り付け交換の場合もガラスを外したりと面倒な箇所も御座います。この部分を今回は違和感の無いブラックアルマイト風な仕上がりでペイントにて処理させて貰いました。生き返るものですね、色褪せていた見窄らしいモールが見事にしっとりとした引き締まりのブラックへ蘇ったのです。ワゴンの艶消しモールディングへも艶有り、艶無し、とどちらへでも対応可能です。嬉しいコースメニューですね、

それからディーラートランクから今回はあえてEURO ヨーロッパスタイルのトランク(横長)へ交換されました。左側の黒いAMGエンブレムは前回のトランクから貼り直したのですが?デザイン的にウルサイのでこの後、オーナー尾形氏のセンスにより取り外されました。何も無い素晴らしさ、それは正体不明の謎のコンプリートマシンにふさわしくシンプルな魅力に纏まりました。

納車前にはご存知洗車名人、前田氏の入念なる愛の124手洗い洗車が施されました。燻銀の744/320はまるで新車のような輝きと完成度を再び手に入れて晴れて尾形氏の元へ引き渡されたのです。途中ASGグループのボス会津氏も駆け付け、この尾形氏の納車に立ち会いました。124がある暮らしは本当に素晴らしい面白さが味わえるものですね、

続く 加古 俊文

124関係の人々。お盆ネタの延長線上ですが?

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花火大会のお話しで肝心要の花火の写真が1枚も出てこないと、何のご報告か伝わらなくなりますから、とりあえず数枚のカットを掲載させていただきます。本当でしたらお盆の全国渋滞にて行きと帰りの2日間を犠牲にして見物するはずの熊野花火大会ですが、運が良いのかはたまた偶然か?平日のお盆過ぎで道中はスムーズに高速道路を使用することが出来ました。それにしても124は本当にキビキビと走りますね、乗れば乗るほどその造り込みの良さと滲み出る素晴らしさが運転していても自然と伝わりました。

私のお盆休み124物語では御座いませんが、8月/22日は500で1,000Kmを走破したことでしょうか。

それから8月/23日はご存知知る人ぞ知る名古屋の重鎮、NTTグループの総帥高橋氏とE 300/4-MATICで巡る、名古屋市内観光、簡易グルメスポットツアーを楽しませていただきました。新車のような199ブルブラE 300-4マチックは高橋氏の愛情により、機械メンテが徹底的にと言ってもよいほど全てに手が入れられており、新車以上のコンディションが見事に実現されておりました。それでも高橋氏によればアイドリング時の最終セッティングがあとほんの少し詰めたいところ?とコメントされておりました。これも愛ですね?高橋氏ご自慢の秘密の料亭屋さんで食べた醤油たこ焼きは最高の味でした。メニューに存在しないスペシャルオーダー品でしたから、金額はプレミアムのついた時価です。普通では味わえない幻の空間でした。

8月/24日はコードネーム0014と呼ばれる大石城治氏とお好み焼きを食べに、ぼてこ刈谷店へ行きました。この大石氏はW124092のオーバーフェンダーワゴンを2台も複数台所有されていて、199ブルブラと744ブリシルを愛する男でした。何故過去形なのかと申しますと、事故により199/E320Tワゴンは廃車となってしまったのでした。現在は父親名義の744/E320Tが1台と、アウディーが1台、ランサーエボリューションレーシングスペックが1台の計3台体制です。大石氏はこの次は密かにカイエンターボを狙っているのだとか?

8月/25日は私が124ワゴンを購入するキッカケを作りだしてくれた精神師匠の和田氏です。和田氏は愛知県東海市の国道55号線沿いで長年ジーンズショップを経営し続けてきたカジュアル55の店主でもあります。創業23年の永い歴史を持ち旧半田街道沿線にて商売を一徹して貫き通してきた実績を持ちます。同じ場所にて1つのテーマで商売を続けるのは非常に難しく奇跡に近い神業の領域に突入です。実は1992年10月に発表された320TE/744ブリリアントシルバーのステーションワゴンをこの和田氏が新車で購入されたのが始まりでした。DOHC/M104-3,200ccエンジンの魅力を教えて頂き,私がメルセデスに乗る事が出来たのもこの和田氏の熱い124道に対する教えでした。

こうしてお盆休みですが?124三昧なる人間関係と素晴らしき124の魅力に触れてゆっくりと休日を過ごす事が出来ました。仕事から離れても124でこれだけ楽しめるとは幸せですね?




開催日時  毎年8月17日  延期変更8月22日7時30分より
打上場所  熊野市七里御浜、鬼ケ城および海上
問い合わせ先 熊野市観光協会 TEL05978-9-0100

大地を揺るがし、大気を振動させる鬼ケ城仕掛けの大迫力。 熊野花火大会について。
   
会場の七里御浜は熊野駅から徒歩3分ほどと近く、
広さも観覧会場には十分である。正面一般席後方の国道沿いには仮設の桟敷席が数多く立ち並んで壮観だ。桟敷といってもどこかの運営というわけではない。個人のグループや企業それぞれが建設費用を自己負担し、シートを敷いて場所取りをする代わりに、鉄パイプなどの足場を組んで観覧場所としているのだ。だいたい二ヶ月前くらいから建設するというので、その日だけの他所からの客には残念ながらあまり縁はない。といっても一般席は十分にあるので問題はないだろう。プログラムは熊野駅を出てすぐ右手の観光協会の建物内で手に入る。
 
浜と道路は場所によってはかなり高さのある防波堤で区切られている。したがって防波堤を通って浜に抜ける小トンネルまたは階段が狭く、行き帰りはボトルネックになる。1996より防波堤の一部に広い階段が設けられ、国道から浜に降りるのは快適になったし、この階段が雛壇のように新たな観覧場所となった。
 
浜は3~5センチくらいの玉石なのが珍しい。日差しが強いとこの玉石が焼かれてアッチッチーッ。座って待ってなど居られないし、日が傾いても相変わらず焼き芋か天津甘栗になった気分だ。
 
打ち上げ場所は浜の一部と鬼ケ城という岩場、コンクリのケーソン上、および台船上。観覧・撮影のための現着は14~15:00程度。客の出足は早いが晴れているなら浜石が暑いので、シートだけ敷いてそれぞれに日陰の場所に避難している。熊野へ向かう国道も遥か鳥羽や伊勢方面からびっしり渋滞し、車での観覧はお勧めできない。
 
花火は大型スターマイン、斜め打出しスターマイン、二尺玉、海上自爆水中花火、海上自爆三尺玉1発、ナイアガラと見どころはつきない。1997からは打ち上げの三尺玉1発も新たに加わった。豊富なラインナップだが、見物はなんといってもラストの鬼ケ城仕掛け。岩場や洞窟に花火を直置きするという荒技で、信じられないほどのド迫力の地上大爆発の連続が数分も続く。しかもとにかく観覧席に近い。これに打ち上げのスターマインが加わり、これでもかの連続爆破の大音響には声も出ない。これだけではるばる(地元の方ゴメンナサイ!)来た甲斐があるというもの。
 

海上自爆三尺玉は、花火玉を筏に載せて海上に浮かべ、直接爆発させるというものだ。普通なら何キロか遠くで打ち上げる三尺玉であるが、ここでは浜からの距離はその開発半径程度!。浜から400メートルくらいでほぼ半円形に開き、外側の星が波打ち際近くまで達するかという大迫力だ。
 

鬼ケ城から獅子岩にかけての海岸一帯が観覧場所。全てのプログラムをまんべんなくおさえるには、獅子岩方面の国道沿いがいいだろう。鬼ケ城仕掛けに限っていえばできるだけかぶりつきの位置を確保したい。今回は前者でガイドしよう。国道沿いといっても浜からは結構高さがある。防波堤を兼ねているのだろう。ここの浜辺は中央が盛り上がっているのか浜に降りてしまうと波打ち際や海面が良く見えない。従って浜辺の観覧客や海面、花火を綺麗に見渡せるのが国道の歩道部分だ。 
 

スターマインや単発、斜め打ちスターマインなどは35~70の間で花火に合わせて切り取っていきたい。二尺は台船上から打ち上げ、縦位置28~35ミリ。
 
鬼ケ城の岩場の地雷花火は135以上の望遠を横位置で迫力を出したいが、スターマインの同時打ちが始まるとこれでは画角が狭く、85前後の縦位置に戻さなければならない、忙しい。カメラを複数使いたいところ。海上自爆三尺玉は50前後、撮影位置によって違うので保険としてやや広角目を使えば安心?
 
花火の、というよりは観光写真的な超定番の撮影ポイントは獅子岩だ。自然の造形がなす、海に向かって咆哮する獅子のごとく風海食された岩が名所となっている。宮島の鳥居のようにこれをシルエットで前景に使うわけだ。これだけでやはり「熊野」とわかる名勝地である。したがって当然のようにカメラマンの激戦区。やはり昼過ぎには到着したい。きわめて狭い急な崖地で落差もある好ポイントには針山のように三脚が並ぶ。足場も悪いので撮影者本人の滑落や機材の落下には特に注意したい。また鬼ケ城仕掛けやその他の大多数の花火からは1キロ以上離れて遠くなるので、迫力はきわめてスポイルされる。立っている位置によっては獅子岩が迫っているので、半分以上花火は見えないことは承知しておきたい。
 
帰路がまた大変で復路の急行の指定席がない場合、つまり普通列車に乗るには、たとえ切符が買ってあったとしても乗るだけで駅から延々と路上に行列(3時間程度)しなければならない。当然ながら切符も手に入れてないなら、切符購入の行列がさらに加わる。熊野駅における客さばきや誘導などがもはや駅員の能力を超えており、最終列車まで激しく混む。日付が変わるまでに列車に乗れたら幸運だろう。熊野市周辺の宿も満杯状態。車での往復はさらに大変で熊野へ至る国道も激しく渋滞するし、打ち上げ中も道路を埋めた車は全く動かない。前日に熊野入りする、離れた駐車場に停めるなど工夫がいる。覚悟していこう。浜辺でのテント・キャンプ組も多数。

http://www.japan-fireworks.com/guide/kumano.html 熊野花火大会にて検索。引用コメント掲載。

続く 加古 俊文

名古屋から帰りはカイエン便にて横浜まで、

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500Eで8月22日横浜から名古屋まで行き、帰りは新幹線で8月23日の夜に帰る予定でしたが、最終便2分前にて手続きが失敗してしまいアウトでした。この日の夜は名古屋NTTの高橋氏が行きつけのお店を何点かはしごしてくれて名古屋市内観光をしてくれました。そのまま東海市で8月25日までゆっくりと過ごしました。運良くも横浜行きのカイエン便が午後5時50分発で到着しました。国道23号線経由の豊明から伊勢湾岸自動車を豊田南方面へ走らせ東名高速道路まで合流させました。順調に流れ横浜着が夜の10時頃でした。

続く 加古 俊文

500Eで過ごす夏の休日。

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124/500Eで8月22日のAM1時に横浜を出発し朝の5時に東海市へ到着しました。その日の昼に今度は三重県尾鷲市梶賀町まで走りました。伊勢湾岸自動車道が勢和多気から大台まで繋がったおかげで30分の時間短縮になりました。この次は紀伊長島まで開通する予定です。その次はストレートで尾鷲まで繋がるらしいのですが?これだけ便利な高速道路がこの距離を実現すると国道42号線沿いで商売をされている路面店の方達はきっと死活問題なのでしょうね、2年後に完成予定らしいのですが、道中の景色をデジカメで撮影しながら走ってきました。こうして道の流れ1本が地域の経済まで変えてしまうのでしょうね、

今年は台風のおかげで熊野市恒例夏の花火大会が8月17日から8月22日へ延期になりました、ギリギリの夕方から大雨が降りはじめ、尾鷲市全域に大雨洪水警報が発令されましたが運良く花火開始前には雨も上がってくれました。尾鷲市梶賀町から熊野花火大会七里御浜まで最近開通した海岸通りの裏道使用で走りました。この22日は通算1日1,000Km近くを走らせたことになります。道中不思議と装着させているレカロも効を成してか、疲れ知らずのロングドライブが楽しめました。

500の簡単な変更点が数点御座います。お気づきの点が御座いましたら暇つぶしがてらにお楽しみ下さいませ。

http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=33%2F57%2F46.09&lon=136%2F13%2F6.78&layer=1&sc=5&ac=24209&size=s&mode=map

尾鷲市梶賀町では毎年1月15日に「ハラソ祭り」という鯨の供養祭りが行われます。
「ハラソ」は「羽刺」が転化した、あるいは中国から漂着した「秦氏」に由来するともいわれ、
捕鯨の習俗を今に伝える祭りで市の無形民族文化財に指定されています。
平成5年から、祭りの保存会も結成され、町の活性化の一翼をになっています。
熊野灘沿岸で未だに鯨の銛(もり)打ちの古法、古式の漕法を伝え守っているのは梶賀だけです。


続く 加古 俊文

334Km先の名古屋方面へ。

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2006年08月21日の夜から東名高速道路で愛知県東海市まで移動です。124036/500Eの選択です。目的はお墓参りです。
到着は22日朝の5時頃でした。写真一番下は東海市富木島町で古本屋をしている私の弟です。
店舗名は丸文書房です。古本販売がメインの店です。

〒476-0011
愛知県東海市富木島町長田24番地の1
『丸文書房』
(052)603-5687
 毎週火曜日定休 代表:加古正俊 
 営業時間(昼12時~夜10時まで)

http://www.hon-ya.net/map/107.html

8/22~8/26まで一時お休みです。

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少し遅れたお盆振り替え休日を取らせていただきます。本当はお盆の季節に墓参りをしたいのですが?お店の関係上少しずらすしかありません。この期間は東名高速道路を使って22日に名古屋入りで、その後23日に三重県尾鷲市梶賀町まで走ります。横浜から名古屋(東海市)までは344Kmの距離です。そこから尾鷲市梶賀町までは伊勢湾岸と国道42号線を使用して210Km程度の距離です。合計片道355Kmの道のりです。伊勢湾岸自動車道が出来てからは楽になりました。本当はカイエンSで行く予定でしたが、今年は急遽500E/348パールブルーにて予定変更です。同じ時間帯には榎本号500E/199ブルブラも出発です。写真2枚目が海と山だけの漁村風景です。場所は三重県でもどちらかというと和歌山県より熊野方面に近いところに位置します。尾鷲から海岸通りを南に抜ける途中に存在する場所です。このため8月22日(火)~8月26日(土)までの4日間ブログとホームページの更新をお休みとさせていただきます。9時55分の扉には関係の無いコメントで申し訳ございませんでした。

続く 加古 俊文

AMG E320T-3.6 2台揃えば744の7,2リッター12気筒?

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毎年1月36日はAMG E320T-3,6の日と勝手に決定です。深夜喫茶などでよく見掛ける25時まで営業とか、これは翌日に繰り越された深夜1時(24時に次の日の1時間を足した合計表示なのですが、正確には1月は31日までしか御座いませんが、それに5日分を繰り越すと2月にずれ込みますから、正しくは翌月の2月5日を意味します。このような常識はずれな概念が新しい日付を勝手に発生させてしまうものなのでしょうね?日頃当たり前のように存在している数字への常識を、意図的に変形させてみるのも意外に面白いものです。

決められた時間の枠組みを超えて物事を考えたとき、そう言えばクルマには時限爆弾のように正確に2年周期で訪れる車検システムが存在しているのでした。通称 継続車検と呼ばれている面倒な整備点検見直しのサイクルです。車検に適合させるためには最低限の整備と保安部品正常に機能していること、これらがクリアーしなければ基本的には車検が継続させて貰えないルールになっているものです。

偶然にもE320T-3,6オーナーの岡本さんがこの度10月に継続車検の季節となります。いったいどれだけの諸費用がこの3,600ccのメルセデスに課せられるのでしょうか?細かく車検諸費用を計算してみました。ここでは整備点検諸費用は含まれずに、簡単な税金関係と登録諸費用を算出です。実は驚くことに偶然か奇跡か?金額は136,744円となったのです。

自動車重量税:       50,400円
検査登録印紙代:      1,500円
自動車損害賠償責任保険費用:31,724円
代行手数料:        14,800円
リサイクル税:       16,720円
テスター検査料金:     1,600円
継続車検諸費用一式:    20,000円

総合計諸費用金額     136,744円 

これはE36の744だからなのかも知れませんが?

岡本さんは、この費用を稼ぐために鍛え抜かれた才能を駆使して
勝負に挑むらしいのですが?さすがさすらいのギャンブラーは違いますね?

続く 加古 俊文
ギャラリー
  • 2022年06月13日 月曜日 ポルシェ911シリーズ Type997 後期 Carrera GTS 3,8 LH  7速PDK 408hp 
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  • 下田界隈 白浜別荘地 2020 04  11  土曜日
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Toshifumi Kako 1966

Toshifumi Kako 1966

1994年06月に横浜にAFF-1 YOKOHAMA を創業 2012年04月 AFF-3 東京タワー店をOPENさせて頂きました。生まれは1966年02月生まれの変化球での趣味人で御座います。 

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